黒崎まちなか大学とは~3
本日のテーマは「集まること」です。
黒崎まちなか大学は、11月初旬まで「黒崎で集まること」に主眼を置いて活動してきました。
これまで述べてきたとおり、まずは黒崎から、まずは集まること、を重視していたからに他なりません。
今は次のフェーズに突入していて、「キャンパス整理」をするための学習のために、どうせ将来的に活動のフィールドに入る他の街へ打って出ています。
しかし、それでも「まずは集まること」は依然として継続しています。
歴史的に見て、成功する組織を編み上げるやり方は2種類しかありません。
一気に「中心」を作ってそれに吸い上げる形か、雑多な方々の中にラインを作って「中心」を創り上げていく形か、です。
前者はわかりやすいやり方で、日本における大半の会社組織の形態がこれですし、近代的官僚組織もこの形式を取っています。
秦軍型・プロイセン軍型の組織形態と言えます。
この組織形態は一般に「短期決戦」に無類の強さを発揮する組織形態で、経済経営的にいえば「即効でカネを稼ぐ」にはこの組織形態が最適です。
何せ「組織の具体的目的」が明確で「指揮命令系統」が明瞭なのですから。
日本の会社はこの形態から始まることが多い。
とりあえず、お金を回さなければ商売が成り立たんのだから、まずこの方式を採用することは実に賢明な選択だと言えます。
この組織形態で短期的でも儲からんのであれば、それは「具体的目的」に社会的齟齬があると考えていいでしょう。
さて、後者はわかりにくいでしょうが、実は日本という国家そのものの成立がこの後者型なのです。
現在の日本はどこまでも中央集権国家の体裁を取っていますが、ことの実は後者の手法で編みあがった国家といえます。
この組織形態は「短期決戦」において一見脆弱に感じますが、長期的に見れば非常に「強固」なのです。
モンゴル軍型の組織形態と言えます。
日本が悠久の王朝として滅亡せずにここまで成立しえているのは、別に不思議なことでもなんでもない。
ちなみに「現代型民主主義」という手法は、この組織形態の強みを権力構造に直接的に反映させようという試みだったりします。
私は「黒崎まちなか大学」は後者の手法を取るべきだと考えています。
どうも北九州の「社会活動」には、この後者の手法が不足していると感じているからです。
ゆえに、テーマが明確で、非常に優秀で世界的評価の高い「突き抜け系」の社会文化活動は数多くありますが、あまりにも突き抜けすぎていてどうにも市民には受け入れがたい。
世界的な評価を受けているにもかかわらず市民が知らない、なんて活動は北九州には多い。
これは非常にもったいないことです。
だからこそ
黒崎まちなか大学がそういった活動と市民を繋ぐ受け皿になれれば
と考えています。
そのために後者の組織形態を取るわけです。
ただ、現在の黒崎には「雑多」がありません。
この後者の組織形態を実現する手順としては
雑多を生み出すこと=集まること
から始める必要があります。
そういうわけです。
次回は「まずは集まること」について、別の角度からお話できればと思います。
黒崎まちなか大学学長 寺下良真