黒崎まちなか大学とは~2
今回は「縦(世代間)×横(コミュニティ間)」のうちの「横(コミュニティ間)」について説明します。
「コミュニティ間」と言っても色々あります。
「黒崎まちなか大学」のいう「コミュニティ間」とは、通常ならなかなか交わることのない「コミュニティ」同士のことを指します。
コミュニティという語は本来、人的集合体の意でしかないのですが、核家族化が進み地域自治組織が崩壊する中で、社会課題のアクターとして専門家が使い始め政治用語化して一気に市井に広がりました。
しかし、要は「人的集合体」でしかありませんから、私はコミュニティをこの意で使います。
日本のコミュニティという起源は大半が以下に集約されます。
昭和中期の軍国主義の時代、世界恐慌を乗り切り未曾有の戦争を乗り切るために、各地で様々な組合が作られました。
町内組合、農業組合、商工組合、自治組合、労働組合、商店組合―。
これが戦後もしばらくは温存・拡張され、日本復興の基盤となりました。
しかし、時代は高度成長期、人々の大都市圏への流入が一気に進みました。
これにより、農村の組合組織は瓦解。
都市部でも組合に属さない人々が溢れかえります。
それでも、東京・大阪・京都・神戸・北九州のような元々「流入・流出に耐えうる組合組織」を有していた古くからの大都市は、比較的組合を遺すことに成功しました。
しかしながら、それでも東京・大阪は果てしない膨張のため、神戸は大震災によって、組合組織は危機に瀕しています。
つまり、北九州と京都だけはそれなりの伝統ある「都市コミュニティ」が生きているわけです。
そして、都市に内包されている多様な「コミュニティ」のそれぞれが非常に強い発現力を有している。
このことが、日本全体が東京化する中、北九州と京都だけが妙に自活の風潮を都市にかもし出している所以だと、少なくとも私は考えています。
ところが、北九州の「コミュニティ」には大きな問題がひとつだけあります。
それはそういった多様な「コミュニティ間」の交流があまりに希薄だということです。
これは元々、北九州が集合都市であること、趣味・主義に強い拘りを有している職人気質の市民風潮であること、それが大きく影響しているのだと思います。
そこで「黒崎まちなか大学」の「コミュニティ間」の考え方が生きるわけです。
そうした互いに交わろうとしない「コミュニティ」同士をフラットに繋げる!
これはひとつの大きな挑戦なわけです。
北九州には「世界一」を目指せる種は数多くあります!
この力に関しては、おそらく日本一だと思います。
ただ、それを発現させるためのシステムや場がないために、なかなか表に出てこないだけなのです。
要は、そこを解決すれば、この都市には日本の未来を救えるだけの力があると感じています。
黒崎まちなか大学が、こうした北九州の潜在能力豊富な「コミュニティ間」を繋げるために必要なこと。
それはとりあえず「集まるためのシート」を敷くこと。
だからこそ、「黒崎まちなか大学」は、即物的かつ具体的な主張を何もしないのです。
まずは集まること
これが重要なのだと考えています。
次回はこの「集まること」の意味について語れればと思います。
黒崎まちなか大学学長 寺下良真