開校式
10月15日土曜日
「黒崎まちなか大学」の開校式が行われました。
集まったメンバーは
総計約40名
テレビやラジオの取材も入り、たいへん盛況でした。
そして、記念すべき第1回目の講義は
北九州随一の‘まちマニア’として著名の「まちあるきにすと・市原猛志氏」による講演会
非常にわかりやすく面白い表現で
街の見方
黒崎の歴史
黒崎の意外な側面
黒崎の見方
をプレゼンしていただきました。
その上で、
「黒崎の街の構造こそが、黒崎まちなか大学の理念とピッタリはまる」
つまり、
放射線状の街の形状が、あらゆるコミュニティを横糸で繋ごうとする「黒崎まちなか大学」の理念とピッタリなのだ、と。
まさに!
である。
その後、市原氏と黒崎まちなか大学事務局代表の寺下によるトークセッション。
「街」の形作られる経緯や、街に生きる人たちの意識を形作るまち構造の要因。
そして、黒崎という街がなぜ面白いのか?
黒崎という街で、なぜまちなか大学をつくったのか?
そういう話が展開されていった。
参加者も交えてのトークが展開され始めると、それこそ大いに盛り上がっていく。
実は市原氏の祖先が満州の馬賊出身で、戦後フロンティア精神溢れる黒崎を地盤に商売を始めたとか。
寺下が日本中ほぼ隈なく旅した上で地元の黒崎が最も「インフラとマーケットが残っていて隙間が多い街」だと感じたとか。
黒崎の街で今も生き残っている第1世代の「フロンティア精神」があまりに熱くて、後継ぎに高いハードルを感じてしまった第2世代・第3世代が後を継がなかったことが問題だとか。
そういう話題になってくると
ざっくばらんに、
黒崎の街の具体的な楽しみ方は?
かつてなかった黒崎の隙間から見えてくるチャンスとは?
のような質問が飛び出してきた。
そして、最後に黒崎の商店街の参加者の方が
ぜひこういう活動をどんどんやっていって隙間を埋めていって欲しい!
との願いを込められた!!
そして、会場を崩しての簡単な懇親会
黒崎への興味が深まったところで、
世代も趣味もコミュニティも違う方々が一同に会して思い思いにコミュニケーションをとっていく。
この光景こそが「黒崎まちなか大学」の本質だろうと思う。
この繋がりがきっと
黒崎を
黒崎まちなか大学を
あらゆる意味での
ターミナル
にしていくと信じている。
黒崎まちなか大学事務局
「黒崎まちなか大学」の開校式が行われました。
集まったメンバーは
総計約40名
テレビやラジオの取材も入り、たいへん盛況でした。
そして、記念すべき第1回目の講義は
北九州随一の‘まちマニア’として著名の「まちあるきにすと・市原猛志氏」による講演会
非常にわかりやすく面白い表現で
街の見方
黒崎の歴史
黒崎の意外な側面
黒崎の見方
をプレゼンしていただきました。
その上で、
「黒崎の街の構造こそが、黒崎まちなか大学の理念とピッタリはまる」
つまり、
放射線状の街の形状が、あらゆるコミュニティを横糸で繋ごうとする「黒崎まちなか大学」の理念とピッタリなのだ、と。
まさに!
である。
その後、市原氏と黒崎まちなか大学事務局代表の寺下によるトークセッション。
「街」の形作られる経緯や、街に生きる人たちの意識を形作るまち構造の要因。
そして、黒崎という街がなぜ面白いのか?
黒崎という街で、なぜまちなか大学をつくったのか?
そういう話が展開されていった。
参加者も交えてのトークが展開され始めると、それこそ大いに盛り上がっていく。
実は市原氏の祖先が満州の馬賊出身で、戦後フロンティア精神溢れる黒崎を地盤に商売を始めたとか。
寺下が日本中ほぼ隈なく旅した上で地元の黒崎が最も「インフラとマーケットが残っていて隙間が多い街」だと感じたとか。
黒崎の街で今も生き残っている第1世代の「フロンティア精神」があまりに熱くて、後継ぎに高いハードルを感じてしまった第2世代・第3世代が後を継がなかったことが問題だとか。
そういう話題になってくると
ざっくばらんに、
黒崎の街の具体的な楽しみ方は?
かつてなかった黒崎の隙間から見えてくるチャンスとは?
のような質問が飛び出してきた。
そして、最後に黒崎の商店街の参加者の方が
ぜひこういう活動をどんどんやっていって隙間を埋めていって欲しい!
との願いを込められた!!
そして、会場を崩しての簡単な懇親会
黒崎への興味が深まったところで、
世代も趣味もコミュニティも違う方々が一同に会して思い思いにコミュニケーションをとっていく。
この光景こそが「黒崎まちなか大学」の本質だろうと思う。
この繋がりがきっと
黒崎を
黒崎まちなか大学を
あらゆる意味での
ターミナル
にしていくと信じている。
黒崎まちなか大学事務局
by ucc-k
| 2011-10-16 20:31